コスモス、肉体、あのストリッパー


本

  今回の表題に、あらぬ期待を抱いてはいけない。そういう話ではないのだ・・・・・  以前、新聞のコラムでむかしの古川緑波の川柳に触れたくだりがあって思わず笑いを誘った。「コスモスと電話をかける女かな」。当然のこと川柳であるので季語などいらない。あるとき電話を掛けている女の声がロッパの耳にそう飛び込んできたのだ。



  子供の頃ラジオで関西のエンタツ、アチャコのコンビが全盛を誇った頃、関東ではこのロッパとエノケンがよく出ていた。下町風モダンボーイのエノケンに対してロッパは今にして思えば、わざと出自と教養を隠しているような風も感じて、子供心に面白くもなんともなかった。後から知ったが彼は爵位のあるような家の出で、東京生まれなのだと。それにしてはラジオから流れ出たあの話し振りには東北弁のようなものが混じっていたように思うが。


  前述の「コスモス」の答えはもうお分かりであろう。いや、まだか。種を明かせば、訛った女の声が電話口で「モシモシ・・・・・」と。


  別にわたくしの耳が悪いからだけではなくて、我々の周囲でもこれに似た聞き間違いにはよく遭遇する。考えてみるまでもなく、小さい子供の場合には聞き間違いと言えるような事件は起こり難い。その場合は突拍子もない意味不明な宇宙語のようになるのであって、聞き間違いとは言えない。つまりは意味をなす言葉としての聞き間違うのではないから。聞き間違うためには、聞き間違うこちらの側に、ある程度の語彙と教養が要求される。つまり似た言葉でもって、なおかつそれなりに前後の意味もが通じなければ、それはそれにて意味の一見通る面白い聞き間違いが起きようハズもないのであるからして。


  「コスモス」以外の、あとの二つはわたくしの周囲で実際に中学になった頃に起きた。ただでさえ感じ易い年頃、みんなで大笑いしたものだ。


  学校に風采の上がらない中年教師がいた。男子校であるので当時にあっては当然のこと男先生でオジさんとオジーさんの間くらい。今考えてみると、定年を考慮すれば、ナント!現在のわたくしよりも十才近くは年下。この教師が時として生徒の服装に注意の声を張り上げるのだ。チャンとしろと。「肉体が曲がっておる!」と。当然としてネクタイのこと。そう言わせたくて彼の前に出る直前わざわざネクタイを曲げるヤツさえいた始末。


  どうしてむかしは言葉の訛りがおかしく聞こえたのだろうか。いや、今もそうか。特にわたくしたち首都圏の子供には鈍重に聞こえる東北弁を揶揄する風があった。いや、まだあるか。それに較べて関西弁などに対してはその背後の強固なる文化的異質性を伴った自信めいたるものを嗅ぎとったりして、むしろこちら側がだんまりを決め込む。しかし今回の大震災での世界からの賞賛の声は東北人の寡黙さ粘り強さ落ち着き隅々に至るまでの上品さ抜きには説明できない。大震災時に世界が見た日本人の美質というものは実は東北人のものなのである。わたくしたちはついでに誉められているに過ぎないのだ。


  横浜市電十一番の中で一生懸命英単語を暗記している少年の耳に、その側で話し込んでいる男たちの声が飛び込んできたのだそうだ。「あの人、立派!」と。これが「あのストリ・・・・・」の答え。


  それにしても言葉とは不思議だ。愛の言葉を交わすときにだって、自分の育って来た世界や故郷の言葉でもってささやいて欲しい。ディープな訛りを持つ男女には、そのとき無味乾燥な言葉の東京や大阪生まれなんかには味わえない濃密なる思いが沸き起こるのではないだろうか。ウラメシヤ〜じゃなくて、ウラヤマシ〜。



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