ラブ・スモーク


パイプ

  それはゆうに中型の仏壇の大きさがある。そんなパイプ・キャビネットを持っている。中にはお位牌ならぬスモーキングパイプが二段にわたって「安置」されている。なにを隠そう、もう今から三十年ほど前まで、つまり四十にはまだまだ手が届かぬ頃まで、わたくしは優雅なる喫煙貴族であったのだ。つまりほとんどシガレットは手にせずして、もっぱらパイプと時たまシガーの小型のシガリロ。当時は(そして今もだけれど)日常的にシガーを嗜むには若輩の身にて懐が寂しかったのである。そしてたまーにシガレットを買うときにはゲルベゾルテ。



  こんなことを、つまりとっくの昔にやめていたというか首を洗うでなしに足を洗っていたタバコに関する思い出の事ごとを今回語り出したのは、こういうことがあったからであった。先日片付けをしていたらば、半分ほどまだ中身の残っているゲルベの箱が出て来たのだ。つまりこれは今から三十年以上前のジュラ期のものであろう。ゲルベはその名のごとくの黄色いトルコ葉の芳醇な香りがあり、このドイツの両切りシガレットをわたくしは愛していたと言っていい。その古い箱の蓋を開けてみると、その恐竜ジュラ期の化石シガレットからは、いまだかろうじてかすかに昔日の香りが記憶とともに立ちのぼってきた。ああ、煙を嗜むということは美しい習慣というかある種香道のごとくのお作法であったな。そして火をもてあそぶということは、太古からの人間にしか出来ないところの、そして人類が有史以前についに獲得した、プリミティブにして原始的ではあるものの、ある種人類の偉大なる能力を不断に再確認する作業の一面もあったのだったな、と。


  ネットを覗いたら驚愕の事実!既に国内でのゲルベゾルテの販売は終了していたと。そしてもしかしたらドイツ本国でも、と。ある噂の記事の中には販売中止の理由としてジエチレングリコールが入っていたからであるとか。そんな不凍液なんかかってのエセ高級フランスワインには必ず入っていたものよ。そんなこんなであのタバコが無くなるなんて。ああ、なんという寂しさ、諸行無常の理なるべし。では、このやや変色してしまった最後の金色の小箱は捨てられなくなってしまったナ〜。


  さて、そしてパイプキャビネット。この中には何が入っているのか、と。最初に述べたようにもちろんパイプは入れてある。今数えてみると、ちゃんとした人様にお見せできうるようなものだけで十五本以上。なかの半数は特に価値あり。スカンディナビアンの作家のストレートグレインそして工場製でもダンヒル程度の物。それらが全体の中央及び右手。向かって左手の上半分に大きなタバコジャーとそれを置く棚状構造。その下にはダンヒルのミクスチャーの缶が乱雑に積み重ねられてある。もちろん自然にそうなっているのではなく、わたくしの整理の悪さからではあるのだが。だらしなさついでに白状するなら、きちんと中のパイプスタンドに並べられた数々のパイプの間やその横その奥には、それこそお人にお見せ出来ぬ乱雑さで皮のパイプケースやら葉っぱをいれるポーチやら各種パイプ用ナイフ類、どこにも売っていないような不思議にも使用不可能なようなライター類、そしてまたその当時大事だったはずのそして今やこの当の本人にも解読意味不明のこの世の秘密に関したものと思われる大量のメモの切れ端そして使い忘れのそれでいて悔しくて捨てられなかった期限切れのそれも十年二十年前のグリーン車の回数券、それが何冊か。以上それらが観音開きの戸の中の小宇宙の惑星群だ。そしてそれらの観音開きの中の構造がキャビネット全体の上三分の二。キャビネットの下三分の一左右は大きめの引き出し二つ。で、外観は完全なるシンメントリーと。


  禁煙したのは人様よりも早かった。当時国連の親友がニューヨークあたりで流行っていると教えてくれたのが桜沢如一の提唱していたマクロヴァイオティック(玄米正食)だった。なんだか貧しかった頃の日本人を実践していればそのまんま、といった感じで、何年も何となくやっていた。無農薬と称する玄米を入手し、当時は入手困難な天然塩を会員になったりして分けてもらった。当然味噌は麦麹と無農薬国産大豆での自家製。まあそれ以前からもそして今も味噌は時々自作してはいるが。そんな頃に禁煙したのだ。自己管理も出来ないような人には他人にとやかく言う資格は無いとか、自分でするかしないかの決定権は本来自分自身のものである、とか。そのへんの美学に酔いしれていたのかも知れなかった。


  しかしそういう考えに染まっていった同じ頃、というかそれよりちょっと前、深田教授落合先生両巨頭に引率され、西海岸ではかって東京でもコースを受けたUCLAバーバー教授のご講義、東海岸ではハーバード・フォーサイス・デンタルセンターでの堀内先生のご講演に接したときにはこんなことがあった。モダーンなロサンジェルスに比べボストンでは歯科の世界でも何か古くさい歯科ユニットを背景にパイプをくわえて哲学的に沈思黙考している感じなのだ。そのカッコ良さというかむしろ人生の本道を行くという雰囲気。そういう風俗にも接して、新しければ総て良い、体に良ければ総て良いという思想とでも言うべきものに対する少なからざる不全感の芽生えとでもいうべきものも同時にそろそろ胎動してもいたのだろうか。


  今は、いまだにシガレットをやめたくてもやめられないような人に対する、このイクジナシッ!といった思いはわたくしの中にもまだある。がしかし、タバコを簡単にやめられないような人にこそ弱い、こころ優しい人が多い。サッサとやめられるわたくしのような人物は一見外見キチンとしてはいてもそのじつこころの芯の冷たいようなタイプもいるようだ。この禁煙ファッショは今後このままいつまでも続くのだろうか。映画の「指輪物語」だってヒゲのガンダルフはやはりパイプを燻らせない限りはあの魔法使いの哲学的風貌は保てないのだ。


  一、二年に一度、息子どもと海の見えるベランダに集まったとき、禁煙しているこの三人で極上のシガーの口を切り、火を着ける。やはりコニャックもシガーも、この世で健康に悪いものであるからこそ、よりいっそう旨いのだ。それを尚の事おいしくするためにも、世間の皆様ヨ、いつまでもイケマセン!と言っていて下さい。そしてそう、そのむかしの中学の頃、今は亡き若き国語教師が生徒たちの前で良書を読めとおっしゃった。すかさず我々「どんな本を読んではイケマセンか?」と。いずれにせよ、みんながしていること、大多数の者の側のこと、大衆的価値観のもの、などに面白いものがあろうハズがない!イケナイと言われているもの、不便なこと、そのようなソンなものやことをするというヤセガマンの美学の中にこそ本物もある。あと十年タマーのシガーで我慢して、八十に手が届く頃になったら、またパイプ始めよオ〜っと!


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