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運動?ありゃ健康に悪いネ!ついでにプール紳士録

鎌倉だより4

  多くても週一くらいか、プールに行っている。一応泳ぎに、備え付けの新聞読みにではなく。運動というものが、自分で言うのはナンだが、わりかし上手なわりに好きではない。ここでわたくしがスポーツを得手だというと首をかしげる向きもおられようから、過去における華々しくも輝けるエピソードのいくつかをまずはご披露して諸君のご批判のあるいは喝采の声を仰ごう。

  ・まずは小学校の一年生、ヒョロリと背が高いわりには駈けっこがそんなでもなく、それ以前の大病からの病み上がりでもあったからか体力筋肉量とも最低で、頭一つ小さなボーヤと同じくらいの実力。しかしその後研鑽怠らず、速く走るためには身体を前傾し両腕の振りを素早くすべきであるとある日天啓のごとくにヒラメキ、心得た。その結果その後、運動会においてはいつもリレーの選手。前日はテルテルボーズを窓辺に吊るし、当日は跣足袋(はだしたび)に身を設えた。さあ来い!

  ・やっと中学二年になり放課後のクラブ活動が解禁された。わたくしは小学校の頃から野球少年というかいつも路地裏ソフトボールのホームラン王で当然のこと野球部かと。応募人数が多過ぎたので、最初マラソンで三人落とすと。わたくし当日持病の喘息が出て苦しくて駆けられずにビリからちょうど三番目。得意の打球テストも投球テストもせずじまい。母校はこの天才少年の登場を見ることなく、長らく弱小クラブのままであった。ああ、もったいない。

  ・またの中学時代、横浜三ツ沢競技場におけるサッカーの神奈川県県大会において我がチームは二位であった。わたくしはフォワードで。当時は誰もスパイクなど所持していなくて、タイガーの深バスがせいぜい。時代は東京オリンピックのズーッとまえで、ダーレもサッカーなんて知らなかった。おとなには蹴球(しゅうきゅう)というと、マレ~に知っているひともいたりした。で、参加校はだって?・・・・四校だよ。

  ・大学に入り、アーチェリーを個人的に一、二度やったことがあるので、ある日、出来立ての洋弓部に顔を出した。入部したようなまだしていないようなまさにその日の当日、全日本だか大学選手権だかが来週あると、人数足りぬ出てくれと突然言われた。まだ一回もやってもいないのに!さすがのわたくしも、当日突如の腹痛を理由に会場には足を運ばなかった。不戦敗である。わたくしは言うにおよばず、はたしてそこまで強心臓の人間がいるだろうか。

  まだまだその手の話はあるのであるが、以上の例からもいかにわたくしが一見スポーツに堪能であるかがわかるであろう。そしてそのじつただの見てくれだけで。上手なわりにはスポーツが大嫌いなのである。敬愛する故丸谷才一が言っていた。運動?ありゃ健康にわるいネ!

  悪口叩きついでに運動というかスポーツに関するある重要なる真実について指摘しておきたい。スポーツはシロートの真の肉体的鍛錬という意味においては、上手になるに従いその意義を失う。乃至は効用を弱める。テニスを例にとろう。たとえば諸君は下手なあいだは、それなりにそれこそ全身の余分な筋肉までをも総動員して「無駄に」動き回り、その結果運動としては十二分の効用を得ることができよう。しかし上手になるにしたがい、身体の動きは合理的に「無駄無く」最小のエネルギーで対応できるようになっていく。すなわちそれは真の運動による鍛錬の意味からは外れて行くのである。つまりそのテニスとは、それゆえ、いまや単なる合理的なる作業と化してしまっているのだ。であるからタマ~に行くプールでの、わたくしの運動の素晴らしさよ!それを自身十二分に認識しているからこそ、わたくしはプールでやみくもに泳ぐだけのことなどはせず、ゆったりとそこに備え付けのあらゆる新聞紙面に目を通すのだ。それは日経から始まりジャパンタイムス(英字紙の効用にはこんなこともある。ヘ~えアウン・サン・スーチーって英語のスペルはこうなのか!とか)までをも。またこれは運動ではなくボランティアについてのことなのではあるが曾野綾子氏が似たようなことをおっしゃっている。キミがボランティア活動をしているとしよう。その行為に多少でも重荷を感じている間がハナなのである。楽しくなって来たり負担を感じなくなって来た時が手を引く潮時なのであると。我々は自身の自己満足のためにボランティアをするのであるのならばそれはあなたの精神の慰みものでしかなくなるのだ。

  で、わたくし、プールに行くことは行く。前述したが週一くらいか。ゴタゴタと以上述べて来たのであるがその理由は行くことが本当はイヤでイヤでしょうがないからなのだ。まず裸になるのが面倒。終わって身体や頭を洗うのがもっと面倒。また再び服を着るのはなお面倒。・・・・というわけだ。

  言い忘れたがここでもう一つ運動にまつわるバカバカしき迷信というか思い込みをもう一つだけ指摘しておこう。競泳の選手は身体が柔らかくないと大成しないのだそうだと、そうテレビで聞いた。ところがである。北島康介はガチガチに硬いそうである。すると舌の根も乾かぬうちに、同じ解説者が、そうです、北島は身体が硬くてムダな動きをしないことが良い記録に結びつくのでしょうとヌカしやがった。よく言うよ!かように結果さえ出せれば、後からの説明などいかようにもつけられるのである。諸君もこれはヨ~ク覚えておいた方がイイ。最近、説明責任とかがかまびすしいが、人生やはり結果が大切で後での言い訳などどうでもよろしいのだ。

  先日、鎌倉駅ホームで年配の(つまりわたくしよりはもっと年配だという意味だ。分かっているってば)紳士に挨拶された。挨拶を返しながらよ?く見てやっと誰だか分かった。な?んだ、いっぺん裸になってから挨拶してくれなきゃ分かんないじゃネーカ!洋服なんか着てたんじゃ誰だかわかんない。これはオバサマのときには言えないセリフ。

  さて、ながらくプールに通っていると様々な人物に出会うものだ。そしてお亡くなりになったり、見受けられなくなったりで何年も経過してと。そういう時々思い出されるといった人々。・・・・・中にはこういった方がいらした。ご夫婦でお出でになられるオジサマで、途中いらっしゃらないなあと思われた間に心臓の手術を受けられていたと。胸の大きな手術の痕にもかかわらずお元気で。わたくしにもいつもご親切にされるのでご挨拶を交わす間柄となっていった。あるときわたくしが歯科医であるということを知って、局部義歯の相談に見えた。彼は参議院議員をかって二期やっていて、それが誇りであった。生前の日大古田会頭と昵懇で毎晩のごとく古田氏のお供で赤坂に繰り出し、一晩百万近く使っていたそうな。参議院も彼の引きであったと。彼は何も知らずに誇らしげに語っていたが、聞いているわたくしの方は、何と当時はメットとゲバ棒で彼と対峙していたのだ。こちらは赤坂どころか一杯のコーヒーも金欠で飲めずじまいで。・・・・・しかし現在の彼は好々爺で、世相を憂うることなど今やわたくしと同じ立ち位置と言ってよい人物で・・・・・

  で、口腔内を診せていただき、ご本人がおっしゃるごとくに下顎局部義歯の必要性の診断を下した。当院は自由診療であるので、二十五万であったか三十五万であったかを提示した。無論のこと相談料は無料。ご本人も納得なさり、一度お帰り願った。再度アポイントメントである。アポイントの何日か前、お電話を戴いた。中止をしたいのである、と。わたくしは多少意外ではあったが、以下を彼に申し上げた。長らく放置されると噛み合わせの平面が乱れるので、なるべく早くに近医で保険のでもよいから、まずはお入れになって下さいと、で終わった。・・・・・赤坂での何百万か何千万かはどうなったのだろう?つまり自腹でどうこうするということはかように難しいのである。そうしみじみ思った。

  運動とは人様のためにしていることではなくて、まったくもって自分のためのことである。そういった観点からは運動とは、別に立派な行為でもなんでもない。ただ今日、成育医療の立場から考えれば、各人が健康になれば国家も助かるのである。そこにスポーツ産業など絡めば、資本主義経済の下、社会も潤って一見良いことだらけのようにも思われる。しかしそうか?便利で高機能なスマホの登場が若い人を中心に欲望を際限なく解き放してしまったごとくに、あらゆる事物に良いことだけというコトはこの世にあり得ない。さて、スポーツの場合は何が起こりえるだろうか?あるいは既にして起こってしまっているのだろうか?そういうことを考えながらわたくしは泳ぐことだけなどというヤボなふうをせせら笑い、今日もプールサイドであらゆる紙面に目を通す。なら、なんで高い年会費を払ってまで、ましてや裸になってまで新聞を読まねばならぬのかという疑念が時たま頭に去来し起こらぬわけでもないのではあるけれど・・・・・それはこの際措いといて・・・・・