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続・ラブ・スモーク

鎌倉だより4

  父はこどものわたくしを連れてよく東京に出た。そんなあるとき、数寄屋橋あたりだったか道端に本を並べて売っていた男から英和の辞書を買った。父はしばらく手に取り、ためつすがめつしていたが、新品のようではあるものの出版元もよく分からぬような、さしあったって使うようなこともないそのポケット版を買い求めた。あとから思うに、それが敗戦後もしばらくは経過し、戦後もやっと終わったというひとつの意識としての記念なのかもしれなかった。それはまだ当時、このこどものわたくしにはよく分かってはいなかったのではあるけれど。その後、このコンサイス版の英和は家のなかにころがっていたのだが、父も二三度何かの言葉にあたってみたくらいで、ついぞ誰からもちゃんとは使用されずじまいであった。


  中学に入って、学校から色々な教科書とともに三省堂明解国語辞典とクラウン英和辞典が配布された。わたくしはうれしくて国語や理科社会などの教科書は、当然のこと薄手のものなので、休み中に寝っころがって全部読んでしまった。国語辞典はさすがに全部ではなかったが。そしてまた習ってもいない英語の辞書にはまだ歯が立たず。だがしかし、その英和はただそのかっこよさから好きになっていた。戦後しばらく食客のごとくに家にいた男がこの春休みにたまたま来ていて、このクラウン英和を手に取って父に言った。「先生、あのコンサイスは全部のんじゃったんですよね」と。つまり戦中戦後、すべての必需品が配給であった頃に、コンサイス英和辞典などの薄手のインディアペーパーは貴重品なのであった。その手の辞書類は普通のオジさんなんかは所持していなくて、誰かの息子など学生に頼むしかないのだ。何に使用するのかと?配給された刻みタバコの葉を巻くのだ。これは、むかしの学生が入試勉強の暗記を完成するがため、片っ端から暗記したコンサイスのページを破り取って食い千切り飲み込んでしまったとかいう話のことではない。ちょうど今の不良がマリファナを巻くようにだ。


  ここでヤクというかドラッグの乱用についても国民性があるということを知ろう。我々は極めてマメでチョコマカ忙しい民族である。今でこそ多少変わったようだが。子供の頃の海水浴場ではどこかのおとなたちが海に来ているにもかかわらず水着姿でビール瓶片手に雀卓を囲みスイカを頬張っていた。あれもこれもとたくさんしたいのだ。であるからその国民性からしてヤクも覚醒剤が似合う。欧米では酩酊、多幸感をもたらすモルヒネヘロイン系が主流となるが。つまりあちらではグターッと働かずナマケモノのごとくになりたがるのだ。四十年近く前、父が実家の隣接地を買い取った。そこは町内会の広い倉庫で、わたくしが子供の頃は芝居小屋があって旅役者が寝泊まりしていた。そこを父と片付けていたとき、大量の注射用アンプルが出て来た。覚醒剤のヒロポンなのだ。横須賀では子供の頃あそこのおじさんはポン中だとかヒロポン中毒者が時たまいた。こんなに沢山ある!しょうがねえな!と、父と二人スコップで叩き割ったものだ。旧軍は特攻隊の飛行機乗りだけでなく積極的に覚醒剤を使用した。これはドイツもアメリカも同様だった。身体なんかには悪くとも目がカーッと冴えて疲れを知らずに敵に向かって行けることが望ましいからだ。これはその後の平和な時代になってさえ、我々の意識としては極めて真面目にあそびも女も何でもついでに仕事も同時にしようという態度となって現れているのだ・・・・話がそれた・・・・インディアペーパーの紙のはなしの途中であった・・・・


  またむかしの映画であるならば馬上のカウボーイがペーパーの上にタバコを置くところまでは両手を使うが、あとは片手で器用に巻いた後ペーパーの端を舌でちょっと湿らせシガレットの形に完成させるといった、その紙巻きタバコの紙のことなのである。わたくしの学生時代の最後の頃はあの専用ペーパーも外国製だが市販されていて、こちらも上手に巻けるよう練習したが、それ用のタバコにプリンスアルバート以外そんなに旨い葉っぱがあるわけでもなく途中で飽きた。この手のものはやはり北欧のごときに紙巻きシガレットに高税が掛けられ、それゆえ労働者や学生はパイプかあるいは自分で巻くしかないという必要に迫られ裏打ちされねば紙巻き名人にはなりえない。


  そういえばスウェーデン土産にこういうのを見たことがある。蝶番のついた蓋の四角く浅いブリキの缶で中に葉っぱをしまう。蓋にシガレットの巾のスリットが明いていてそこの内側に幅広きゴムシートが覗いており、箱の蓋を開けて内側のゴムシートの上にペーパーと葉っぱを適当な分量置き、かつ蓋を閉じると、あ?ら不思議、自動的にシガレットが巻かれてスリットから眼前に出現する、と。むかし若き我が父親は当然所持品の中に学生時代からのコンサイスの一つや二つがころがっていたのであろう。そしてすべてそれらは、自分のためだけではないのであろうが、煙となって消えたのだった。謹厳な父にもそんな面があったのだ。寡黙な父は生前そんなことは口にもしなかったが。


  タバコに関係がある、といってはおかしいのだが、わたくしは学生時代カトリック研究会で活動していた。ここは座力を必要とするクラブで、座ったっきりで延々と議論するといった部活なのだった。当然としてシガレットやライター、そしてパイプおよびその掃除用の道具類は手慰みの品として討論の必需品と言えた。わたくしはパイプの火を三十分以上は持たせられるようになったのもこの部活のおかげだ。合宿ともなると、なかにはキセルとそれ用の刻みタバコ「ききょう」で器用に一服つける者も出て来た。キセルはタバコを一回詰めても、せいぜい三服までで、慣れたヤツそれも通ぶってむかしの田舎のおじいさんを真似するヤツは、吸い終わってはいるがまだ火のついている吸い殻の火の玉をポンと左の手のひらに落とし、手が焦げぬよう器用にクルクルと手のひらの上でころがしながら、右の片手でキセルに次の刻みタバコを詰めて、やおら左手の上の火の玉から火を移し着けるといったことに挑戦して喜んでいた。これなんかむかしはちょっとした田舎のあちこちでたまに見られた光景であったが。そしてそれも面倒になるとシガレットをキセルに垂直に煙突のごとくに立てて差し込み、これを吸った。それもケチンボは一本のシガレットを半分ずつに切ったりして。これも上品ではないがよく見られた風俗であった。


  さて、こどもの頃よく見られた「羅宇屋」を最後に見たのはどこでいつ頃だったと思うか?なんと大学院生の頃お茶の水の病院の前で見たのだ!ピーッという小さな汽笛の音に医局から外を覗くと、なんと、あの湯気の出る道具一式を積んだラオヤの自転車であったのだ。懐かしくてすぐに下に降りて見に行ったことは言うまでもない。お客らしき人間の姿形はどこにも見られないのに、どうして突然こんな所に。今のわたくしであったなら、どこから来たの?お客いるの?お代はいくら?とおじさんに質問責めにするところだが。また来るのかナ~と、しかしそれからも四十年以上経つ。さてここで今調べてみると、驚愕の(!?)事実。なんと!ラオ屋のラオまたはラフとは語源的にラオス国のことであったのだ!キセルの火皿と吸口とをつなぐ真ん中の竹、この黒斑竹がラオスからの渡来品であるからなのだと。な?んだ六十年以上も知らずに来た。


  むかしのタバコついでに、前述のカト研合宿でのもう一つの話。諸君は「あさひ」という銘柄のシガレット(なんてモダーンに呼んでいいものかドーカ)をご存知か。このタバコは恐ろしく古風で、わたくしの口には旨くも何ともない純粋の日本葉で、全長の半分がガランドウの硬い紙の筒の吸口になっていた。よく見る吸い方はその途中をタテヨコと十文字に指でつぶして何となく真ん中あたりでヤニが取れるようにして吸うのが一応の通であった。これもさらにディープに通ぶるのであるならば、硬い筒状構造の中側の硬い紙だけを爪にて六、七ミリ引き抜いて、しかる後にねじるようにもとに戻す、と。するとあたかもヤニ取り装置としての複雑に細くねじれた紙の迷路が出来上がると。そんなことをしながら若い学生が究極の形而上学的討論をしているつもりになっていたのであった。


  またついでになるが、わたくしなんぞが子供の頃よく目にしたモク拾いはご存知か。道端に捨ててあるタバコの吸い殻を半ば職業的に拾って歩く男どもだ。片手に空き缶片手に先に針のついた杖の長さの棒。下を向いてキョロキョロしつつ吸い殻を見つけては棒の先で突き刺して拾い集めるのだ。吸い殻のよく落ちているのはバス停とか駅前、そこが仕事場。それで子供にも目についた。おとなに訊くと、連中はどこかでバラしてホグした後、さっき述べたあのインディアペーパーで巻いて再生シガレットを作ると。これなぞ究極のエコロジーと言えるか・・・やはり言えまい。


雲

    ひところ、今日はピーカンの晴れで、とか言っていた。これは耳にしたことがあるであろう。これなんか戦後の大船撮影所あたりの映画人の隠語だ。お空の色がピースの缶詰のあの青さだと。五十本入りだったかのあのピーカン、あれを持ち歩いているのが一つのイキであった。まあ、本当はバカバカしいのであるが。またバカバカしさついでに、一番安いシガレットにゴールデンバット三十円があった。グリーンの袋にコウモリのマークと英語でスイート&マイルドと小さく書いてあった。我々はそれを「吸うと、まいるぞ」と言っていた。そのくらい不味かった。これなんか、むかしの学生がフルト・ベングラーがちょっとプルプルしながらベルリンフィルの指揮をしているのを音楽映画で見たりして「振ると変ぐらー」といっていた駄洒落のユーモアに通ずる。


  こうやって書いていくと、数限りなくタバコに関するエピソードが出てくる。つまり、それだけタバコというものが単に嗜好品としての面のみならずに、人間の文化、あるいは精神的なる遊戯の面があることが分かる。つまりタバコという存在は道徳的悪というものではなく、精神にはいざ知らず単に身体に悪いという点が主に現在糾弾されているのだ。それに街の清潔美観と安全性か。もしも国民皆保険とか、あるいは民間でもいいから生命保険とかからの都合悪き問題点がすべて無かったとしたならば。そして生きるも死ぬも、健康も病気もすべて個人の問題であって、その経済的な面も含めて問題は完全に個人に帰するとしたおとなの社会であるならば、これは多いに見方が変わってこよう。


  ときたま目にするくわえタバコの女ドライバーなんかはイヤになる。しかし、むかしのちょっとイイ女が少し吸っただけで消したシガレットに着いた口紅のエロティシズムはむしろ成熟した女の色香を感じさせた。つまりタバコにのまれているか、タバコを主体的にのんでいるかの、我々人間の背後の精神のありようがその美醜の分かれ目となるわけである。お酒もそうであるが、酒に飲まれてしまっては人間がすたる。女も趣味もすべてそうなのではあるが、破滅の一歩手前で自己を見失わずにいられるようでないと本当のおとなではない。現在の消費社会での子供っぽい我々にはこれはおおいに難しい問題になってしまった感がある。で、わたくし自身の喫煙の再開のことではあるのだが、それは、まだまだ、もうちょっとおとなになってから。エッ?もう十二分オジーさんだって?そんなイジワル言わないで、今度一緒にシガーやろうね。