以前は下町の商家の旦那衆やちょっと前までの噺家などに多かった金歯、皮肉なことにこれは非常に持ちが良かった。金で歯全体をくるんでみたり、前歯の場合は窓を開けて歯の白い部分を一部覗かせてみたりと、オシャレのしかた(?)もいろいろとあった。まだ医療現場にエア・タービンの出現する前の技術による術式であったので、隣の歯との隣接面や対合歯との接触面のみをチョコット(というか当時の切削機械事情では非常に硬いエナメル質の故ヤットコというか)削ってかぶせたものだ
当然アンダーカット(つまり下すぼまり)だらけの歯冠形成で、口の悪い後世の歯科医はその適合の不十分さを指してバケツ冠と悪口まがいに呼んだりもした。つまり歯肉に接する歯頚部には目で見えるくらいのスキマが存在したので。その後昭和30年代に入り、タービンとダイヤモンド・バー(ちなみにBURとは栗などのイガイガ)が出現し、人体での最硬度を誇るさしものエナメル質もおトウフのごとくに切ることが可能になったので、そんな前近代的な金歯など追放しろと、当時の歯科大の大学祭では金歯追放キャンペーンを張っていた。当時の新しい考えではそんな適合の悪い金冠なんぞ歯周病の巣窟であるし、そんなキンキラキンの下品なものなどそもそも一等国たる文明国としての民度も疑われようと。
・・・そして時はたち、いろいろとあった。時がたってみると分かったことに、タービンとダイヤモンドでジャンジャン削って、つめたりかぶせたりしたものが、精度をどこまで上げても何故か持ちが悪いと、それもあんなに軽蔑したバケツ冠とくらべて。それはどうしてか?の答えがズーッとあとになって、当然といえば当然と歯科医誰もがうなずけるのだが、実は象牙質に至るまで削ったから、あるいは削らざるを得ないことから来るのだった。
体表面と同じ外胚葉由来の丈夫なエナメル質にくらべ、本来人体内部と同じ中胚葉性の象牙質は、硬さだけをとっても、モース硬度で4?5度、ヌープ硬さで70?120KHNとエナメル質のほぼ1/3?1/2と軟らかいことがまずある。が、しかし、ここで一番重要なのは象牙質とは身体の内部のようなものであるという事実で、本来体外に出たり、ましてや人為的に出したりしてはいけないものなのだということであった。
近代的歯科医術は多くのことを可能にした。特にタービンのような高速切削機具の発達は人類に幸福をもたらした。しかし良いことだけではなかったのだ。それを今、根面カリエスといってかぶせモノ(補綴物)の寿命の大敵になっている。つまり、今日の精密な補綴物の合着のためには一切のアンダーカット部を残すことは許されず、そのために歯科医は当然象牙質にいたるまで削合せざるを得ない。その結果、いままで述べたように歯の生え際から再び悪くなるのだ。要は、ムシ歯だけではなく、疾病の治癒のあとは、以前にも増しての予防がケアが大切なのである。そして最後になるが、削らない、何もしないという究極の歯科の発想は、歯の生えるか生えぬかの子供達への哲学、つまり本当の小児歯科の中にあるのだ。